行旅在外,結草為枕
只盼能在非人情的天地逍遙片刻
 
「代表我的藝術觀以及部分人生觀的小說,像這樣的小說,開天闢地以來,未曾有過!」
──夏目漱石
 
「過於理智會與人起衝突。感情用事則無法控制自我。堅持己見易鑽牛角尖。總之人世難以安居。難以安居到了某種程度,就想搬去容易居住的地方。醒悟無論搬去何處都不易生存時,便產生了詩詞,出現了繪畫。」
 

「這是與世上的小說全然相反意義的創作,我只想純粹將美的感覺留駐人們心中。」
 
夏目漱石作為明治維新的國民作家,面對洶湧而來的西方文明,並不動搖他對漢學的偏愛。〈草枕〉的產出,正是他堅守東洋文化的實踐。字句間展現出飽和的「和、漢、洋」涵養,與其說是小說,不如說是他的藝術觀論著。除了融合東西洋的美學評鑑引用,更有臨摹、引用大量中國古典詩詞文賦,充分展現深厚的漢學修養與造詣。如此高超的技巧呈現漱石的藝術觀,打造出了宛如真實且令人憧憬的紙上桃花源。
 
夏目漱石文學所蘊含的文化底蘊、美學思想極其飽和,影響動畫大師宮崎駿甚多。吉卜力團隊曾在公開訪談時提到:「汲取創作靈感時,主要只閱讀三類:兒童文學、戰爭史以及夏目漱石。」
而在宮崎駿創作動畫《崖上的波妞》期間,更多次受〈草枕〉啟發而改變創作形式:「想再回去紙上作畫的動畫根源,再一次,自己划槳,拉起帆渡海!」
 
★ 特別收錄〈夢十夜〉
「深具野心的我,要讓100年後的人們來解開這個謎!」─夏目漱石
以10個超脫現實的夢境,寄喻夏目漱石對生命、情愛、慾望的體悟,其內容離奇難解,卻廣受青睞。綺想繽紛、詭異唯美,是夏目漱石文學最別出心裁的作品,在這位「國民大作家」逝世100周年的此刻,再一次感受這百年謎團的趣味性!

作者簡介

夏目漱石

本名夏目金之助,1867年出生於東京。1893年自東京帝國大學英文系畢業。1899年赴英國留學三年,專攻十八世紀英國文學,回國後開始文學創作。1905年發表了長篇小說《我是貓》,大受好評並一舉成名。

夏目漱石自幼學習漢文,對東西方的文化均有很高造詣,其作品風格更融合東西方文化的精華,在日本近代文學史上享有崇高地位,被稱為「國民大作家」。代表作有《我是貓》、《少爺》、《三四郎》、《從此以後》、《門》、《心》等,被喻為日本國民大作家。1916年因胃潰瘍惡化辭世,享年四十九歲。

譯者簡介

劉子倩

政治大學社會系畢業,日本筑波大學社會學碩士,現為專職譯者。譯有小說、勵志、實用、藝術等多種書籍。

我雖是貓,但與世間一般毫無思想的笨貓、愚貓完全不同。
至於人類?此一邪惡物種大概只是我茶餘飯後的愚蠢笑料吧!

夏目漱石奠定文壇地位代表作
近代諷刺文學經典

 

創作當時,夏目漱石的心理狀態,在別人看來是瘋狂的,但就漱石本人來說,卻是在特具意識的心理下追求真實,這部作品不僅僅以它的玄學意味,以及其滑稽特質受人稱道,事實上,《我是貓》被當作日本近代諷刺文學的經典類型,至今仍擁有崇高地位!

──文藝評論家 成瀨正勝

 

《我是貓》可說是一本「人類圖鑑」,透過貓的眼睛描寫人類各種奇妙的模樣。從「我是貓。尚無名字。」這句話開始,「貓」向讀者揭開浮世人間的種種愚昧。貓自始自終都沒有名字,不受人類馴服,與如同牡蠣般的宅男主人苦沙彌一起生活,「主人就像難纏的牡蠣緊緊吸附在書房,從不曾對外界開口。然後擺出一副只有自己最豁達的樣子真是有點可笑。」貓不只消遣自己的主人,連同時常來到屋頂長草的主人家的客人們,如美學家迷亭、物理學家寒月、詩人東風以及哲學家獨仙等,都是貓的嘲諷對象。

 

比嘲笑他們,我更嘲笑我自己,像我這樣嘻笑怒罵是帶有一種苦艾的餘韻的。──夏目漱石

 

本書於1905年起在《杜鵑》雜誌上連載,輕快逗趣的文風,迅速獲得廣大迴響。書中對話形式宛如日本傳統說唱藝術「落語」,並蘊藏了許多日本及世界文化的典故,在在顯示漱石學識之淵博。夏目漱石作為小說中貓主人苦沙彌老師的縮影,嘲笑著明治時代知識分子的無奈、迂腐、無知,卻也是漱石的自我反省。

 

貓族的世界與內心自白也是小說中饒富趣味之處──

 

「像主人這種表裡不一的人,或許有必要偷偷寫日記躲在暗室發洩自己不可告人的真面目,但我等貓族無論行住坐臥、行屎送尿皆是真正的日記,所以用不著那麼大費周章保存自己的真面目。有那個閒功夫寫日記還不如在簷廊睡大頭覺。」

 

「世人的評價因時因地如同我們貓族的眼珠一樣變化。我的眼珠不過忽大忽小,而人類的評說卻會在瞬間顛倒黑白。顛倒也無妨。事物皆有兩面,有兩端。敲打兩端讓同一事物身上發生黑白顛倒的變化,正是人類懂得變通的地方。」

 

「人類很愚蠢,只要用『貓哄聲』──貓哄聲是我對人類發出的聲音。若以我為標準來看待,那不是貓哄聲,應該是被哄聲──算了,總之人類很愚蠢,所以我只要那樣細聲細氣湊到人類的膝旁,通常他或她就會誤以為我很愛他們,不僅任我為所欲為甚至不時還會摸我的頭。」

 

「說到人類什麼最難看,我想莫過於張嘴酣睡的醜態。貓族終其一生也不會丟這種臉。」

 

貓的世界同樣反映著人類世界。漱石以反諷手法,爐火純青地刻畫人性共相,即使歷時百年,仍深受讀者喜愛,為書中貓言貓語的的犀利幽默莞爾。

 

本書特色:

經典中譯典藏本,資深日本文學小說譯者劉子倩融和當代與明治語言風格,完整體現「貓族」的機伶活潑。
夏目漱石一舉成為「日本國民大作家」的成名代表作。
魯迅、芥川龍之介、村上春樹等文學大家無不深受《我是貓》的深刻影響。

兼具日本俳諧文學和西歐諷刺文學的傳統,善用辛辣諷刺的手法進行揭露和批判。

 

作者簡介 |

夏目漱石

本名夏目金之助,1867年出生於東京。1893年自東京帝國大學英文系畢業。1899年赴英國留學三年,專攻十八世紀英國文學,回國後開始文學創作。1905年發表了長篇小說《我是貓》,大受好評並一舉成名。

夏目漱石自幼學習漢文,對東西方的文化均有很高造詣,其作品風格更融合東西方文化的精華,在日本近代文學史上享有崇高地位,被稱為「國民大作家」。代表作有《我是貓》、《三四郎》、《從此以後》、《門》、《心》、《行人》、《草枕》等。1916年因胃潰瘍惡化辭世,享年四十九歲。

譯者簡介 |

劉子倩

政治大學社會系畢業,日本筑波大學社會學碩士,現為專職譯者。譯有小說、勵志、實用、藝術等多種書籍,包括三島由紀夫《憂國》、川端康成《伊豆之旅》、谷崎潤一郎《春琴抄》、太宰治《女生徒》、夏目漱石《門》等日本文學作品。

收錄於日本高校教科書、日本電視台改編成「青色文學」動畫
 

「推薦這本探究人心的書,給渴望探究自己內心的人。」──夏目漱石

 

「那些平日看起來善良的人,至少也都是普通人。

不過一旦碰到緊要關頭時,誰都會變成壞人……」


 

此書中漱石提出了「金錢」和「情欲」是罪惡的,它們會使人產生自私的利己心理,因此使人心突然產生變化。那些平日看起來善良的人,一旦面臨「金錢」和「情欲」等緊要關頭時,人心鮮有不動搖者。即使是普通人也可能犯下滔天大罪,最可怕的,莫過於「人心」沒有辦法從表面辨別,「人心」可以輕易地突破良知,為了利己而做出傷害別人的事。

書中的老師便親身經歷因為「金錢」和「情欲」而變化的人心。老師最敬愛的叔叔,卻因為龐大的財產而背叛他;而老師也因為情欲因素背叛摯友,在忌妒心的作祟下將摯友逼上絕路。好友的自殺讓老師對自己至少在這世間還是正直的想法崩潰,沒想到自己跟叔叔一樣,都是自私自利的人。「總之,我是一個打算走正直道路卻滑了一跤的傻瓜,而且還是個狡猾的男人。但是能夠注意到這些的,如今只有上天和我。然而重新站起來,想再往前踏出一步時,我卻陷入不得不讓周圍的人知道事情真相的困境中。我極力想隱瞞到底,同時,我又不得不往前走。最後,我只有夾在兩難之間動彈不得。」老師背叛摯友,終其一生帶著罪惡感過著自我放逐的孤獨生活。

「曾經跪求某人的記憶,會讓你以後想踩在某人的頭頂上。我為了將來不受到侮辱,所以拒絕現在被尊敬。我不想忍受比現在更深的寂寞,所以忍受現在的寂寞。我們出生在這個充滿自由、獨立、利己的現代,其犧牲就是大家都要忍受這種寂寞吧!」人心的搖蕩,人性的明暗,亙古不變,總是有跡可循而難以理解。《心》是一部思想小說,藉由小說的情節剖析人性明暗,細膩描寫人類自私與道德良心的糾葛。

 

作者簡介
夏目漱石

本名夏目金之助,1867年出生於東京。1893年自東京帝國大學英文系畢業。1899年赴英國留學三年,專攻十八世紀英國文學,回國後開始文學創作。1905年發表了長篇小說《我是貓》,大受好評並一舉成名。

 夏目漱石自幼學習漢文,對東西方的文化均有很高造詣,其作品風格更融合東西方文化的精華,在日本近代文學史上享有崇高地位,被稱為「國民大作家」。代表作有《我是貓》、《少爺》、《虞美人草》、《三四郎》、《心》等。1916年因胃潰瘍惡化辭世,享年四十九歲。

譯者簡介
林皎碧

淡江大學東語系畢業,日本國立東北大學文學碩士,專攻日本近代文學。譯有《新戀愛講座》、《避暑地的貓》、《鬼譚草紙》、《漱石:文豪消失的童年和母愛》等。

最懂得描寫內心的國民大作家
夏目漱石探索孤獨本質經典小說

★村上春樹名作《發條鳥年代記》創作靈感──
「讀漱石的小說時,覺得夫妻就像互相對照的對鏡。妻子在丈夫身上看到自己的部分影子,丈夫在妻子身上看到自己的部分影子,對這一點彼此有共鳴,也有憎恨。」

《門》是夏目漱石罕見地以夫妻之情為主題的經典小說,高超展現了過去未曾有過對人物內心的細膩。藉由百年前知識分子的戀愛故事,寫出夫妻過著日復一日的平淡生活代替歸依自然之愛的懲罰,在質樸的字句間流露人心深處的矛盾與陰影。

寂寞的本相──
「遼闊的世間,似乎只有自己二人坐的這塊地方是明亮的。明亮的燈影,令宗助只意識到阿米,阿米也只意識到宗助,二人都忘了油燈照不到的陰暗社會。」

1910年夏目漱石開始在《朝日新聞》連載長篇小說《門》,當時的他飽受胃潰瘍的折磨,幾度病危。輔以當時的創作背景,隨著日俄戰爭的結束,日漸嚴峻的政局動盪,讓漱石的筆鋒轉為關注中下階層的知識分子,開始在作品中投射當時的社會狀況以及知識分子失意的際遇與消極。而以作品風格來看,《門》可謂是漱石創作生涯的轉捩點,前所未有的深入角色心理,令其得以在日後更為人所知的《心》、《春分之後》有更進一步的發展。

「夏目漱石擅長在作品中提出無法解決的謎團。唯有從頭讀完,之後再重新閱讀,才能看清人物行動被後的真相。」──北村薰

《門》全文從宗助的視角出發,借妻子的單純對比宗助無法說出口的道德折磨;借弟弟小六的熱血魯莽,隱射出過去少年宗助的影子;借房東坂井的富有闊達,暗喻宗助曾經擁有的未來……夏目漱石以平淡筆觸將人性深刻藏於角色的行為舉止之間,透過人物的心境隱喻明治末期知識分子的苦悶與不安,也透露出作者試圖正視黑暗的「現實社會」,卻徒留力有未逮的無奈與悲涼。在外人看來感情極為融洽的夫妻,生活總壟罩著晦暗的陰鬱氣氛,夫妻一邊享受閉門而居的恬淡幸福,同時也藏有不可向對方訴說的寂寞與苦澀。「對他們而言絕對必要的只有彼此,只要有彼此,對他們來說便已足夠。他們是抱著隱居深山的心情住在都市。」
 

 

作者簡介

夏目漱石

本名夏目金之助,1867年出生於東京。1893年自東京帝國大學英文系畢業。1899年赴英國留學三年,專攻十八世紀英國文學,回國後開始文學創作。1905年發表了長篇小說《我是貓》,大受好評並一舉成名。

夏目漱石自幼學習漢文,對東西方的文化均有很高造詣,其作品風格更融合東西方文化的精華,在日本近代文學史上享有崇高地位,被稱為「國民大作家」。代表作有《我是貓》、《少爺》、《虞美人草》、《三四郎》、《心》等,被喻為日本國民大作家。1916年因胃潰瘍惡化辭世,享年四十九歲。

譯者簡介

劉子倩

政治大學社會系畢業,日本筑波大學社會學碩士,現為專職譯者。譯有小說、勵志、實用、藝術等多種書籍。
 

夏。鎌倉の浜辺で、書生の「私」は「先生」に出会った…… 「彼岸過迄」「行人」に続く漱石後期三部作の最後を飾る長編。上・中・下の三部構成で、明治後期から大正期にかけての典型的知識階級、もしくは、漱石いうところの高等遊民の精神の葛藤を描いていく。 日本近代小説がただストーリーを描くだけでなく、奥深い心理描写へと踏みこんでいくための礎となった作品ともいえる。 二部では「私」と家族との葛藤、三部では「先生」からの手紙文という形式を使い、小説という形式での人の生死に対する漱石の深い考察が示される。近代文学の金字塔ともいうべき作品で、この作品を避けて現代の文学を語ることはできない。 【朗読者について】 「夢十夜」で深みのある朗読世界を聴かせてくれた女優の岩崎さとこが、難しい長編作品に取りくみました。とにかく、集中力をとぎらせることなく、最後までじっくりと読みきった力には、驚くべきものがあります。 【アイ文庫について】 プロによる高品質な文芸朗読作品を制作しているアイ文庫。プロデューサーを務める小説家・音楽家の水城雄のもと、朗読を音声による芸術表現として捉え、演劇的な要素が特徴の朗読で魅せるアーティスト集団・NPO法人現代朗読協会とともに、意欲作の創造に取り組んでいます。(C)アイ文庫

内容紹介

一匹の猫の目を通して人間社会を風刺的に描き、
世代を超えて読み継がれている名作

『吾輩は猫である』は明治38年(1905年)に発表された夏目漱石による最初の長編小説であり、
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」の書き出しであまりに有名な作品である。

先生"の家に住みついた猫吾輩"の視点から観察される苦沙弥先生ら
滑稽な人間たちの様子は、朗読でこそ、また新たな楽しみを見つけられる。

吾輩がまるで語り手として実在するかのように臨場感溢れる朗読で、私たち人間の滑稽さと、
日本一有名な猫の一生の物語をどうぞお楽しみください。

夏目漱石(なつめ・そうせき)

日本の小説家、評論家、英文学者。森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。1867年(慶応3)江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれる。本名は夏目金之助。東京帝国大学英文科卒業後、東京高等師範学校、松山中学、熊本第五高等学校などの教師生活を経て、1900年、イギリスに留学。帰国後、第一高等学校、東京帝国大学の講師を務める。1905年、処女作『吾輩は猫である』を発表。翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。1907年、教職を辞し、朝日新聞社に入社。以後、朝日新聞に『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』などを連載するが、1916年(大正5)12月9日、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳。

内容紹介

「先生と私」 「両親と私」 「先生と遺書」の三部からなる、夏目漱石の長編小説。

拭い去れない過去の罪悪感を背負ったまま、世間の目から隠れるように暮らす“先生”と“私”との交流を通して、人の「こころ」の奥底を、漱石が鋭い洞察と筆力によって描いた不朽の名作!

学生だった私は鎌倉の海岸で“先生”に出会い、その超然とした姿に強く惹かれていく。しかし、交流を深めていく中で、“先生”の過去が触れてはいけない暗部として引っかかり続ける。他人を信用できず、自分自身さえも信用できなくなった“先生”に対し、私はその過去を問う。そしてその答えを“先生”は遺書という形によって明らかにする。遺された手紙には、罪の意識により自己否定に生きてきた“先生”の苦悩が克明に記されていた。

己の人生に向き合い、誠実であろうとすればするほど、苦しみは深くなり、自分自身を許すことができなくなる…。過去に縛られ、悔やみ、激しい葛藤のなかで身動きのとれなくなった“先生”の人生の様はあなたに何を訴えかけるだろうか。人は弱いものなのか…、シンプルでもありまた不可解でもある人の「こころ」のありようを夏目漱石が問いかける。

人はどのように救われるのか…!?

夏目漱石(なつめ・そうせき)

日本の小説家、評論家、英文学者。森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。1867年(慶応3)江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれる。本名は夏目金之助。東京帝国大学英文科卒業後、東京高等師範学校、松山中学、熊本第五高等学校などの教師生活を経て、1900年、イギリスに留学。帰国後、第一高等学校、東京帝国大学の講師を務める。1905年、処女作『吾輩は猫である』を発表。翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。1907年、教職を辞し、朝日新聞社に入社。以後、朝日新聞に『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』などを連載するが、1916年(大正5)12月9日、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳。

内容紹介

子供のころから無鉄砲な坊っちゃんが
四国の旧制中学校に数学の教師として赴任します。

着任早々、校長には狸、教頭には赤シャツ、画学の教師には野だいこ、
英語の教師にはうらなり、数学の主任教師には山嵐と勝手に
あだ名をつけ大騒動を繰り広げます。

曲がったことが大嫌いな『坊ちゃん』の
痛快な物語をオーディオブックでお楽しみください。
活字とはまた違った味わい深さがあります。

夏目漱石(なつめ・そうせき)

日本の小説家、評論家、英文学者。森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。1867年(慶応3)江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれる。本名は夏目金之助。東京帝国大学英文科卒業後、東京高等師範学校、松山中学、熊本第五高等学校などの教師生活を経て、1900年、イギリスに留学。帰国後、第一高等学校、東京帝国大学の講師を務める。1905年、処女作『吾輩は猫である』を発表。翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。1907年、教職を辞し、朝日新聞社に入社。以後、朝日新聞に『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』『道草』などを連載するが、1916年(大正5)12月9日、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳。

長井代助は優秀な成績で大学を卒業しながら、職に就かずに父と兄に生活費を賄われて日々を送っている高等遊民。 父からは強く見合いを勧められているが、なぜかその気になれない。 一方、学生時代の親友、平岡常次郎は地方の銀行員という職に就いたが、横領問題の責を負い、失職して東京に帰ってくる。 仕事に失敗した平岡は結婚生活もうまくいかなくなり、妻の三千代は苦労の日々を送っている。 三千代を平岡に紹介したのは代助だった。三年の時を隔てて再開した三人だったが、三千代の窮状を聞くうち、代助は三千代を愛していたことに気付く。 しかも、平岡に会わせるずっと以前から……自分から動くことをしなかった代助が、初めて動いたとき、三人の運命が、そして父や兄との関係が、音を立てて変わる!  「他人の妻を愛する権利が君にあるか」——漱石前期三部作『三四郎〈さんしろう〉』『それから』『門〈もん〉』の中核をなす、メロドラマのような物語展開のなかに人間の普遍的な本質をえぐる鋭い視線が光る傑作。 朗読は、漱石前期三部作に挑戦中の渡部龍朗。大好きな宮沢賢治作品とはまた違う、大人っぽく淡々とした読みで、ドラマチックな長編を飽かせず聞かせます。(C)アイ文庫

内容紹介

「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで
済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に
立ちすくんで日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」

『門』は明治43年(1910年)に発表された夏目漱石の長編小説であり、
『三四郎』『それから』に続く前期三部作の締めくくりとなる作品である。

『それから』のその後の展開であり、社会の片隅でひっそりと
暮らす過去に傷を持つ夫婦の苦悩、悲哀がテーマとして描かれている。

平穏な日常を仲睦まじく淡々と重ねる夫婦の生活と、その奥に
秘められた暗い過去の罪悪感と不安の日々。親友であった安井を
裏切って、彼の内縁の妻であった御米を奪い結婚した宗助。
「山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた」とあるように、
彼らはその罪悪感ゆえ、社会から切り離された二人だけの世界に
こもり続けていた。しかしある時、思いがけず知ることになった
かつての親友、安井の消息に宗助の心は激しく乱れてしまう。
恐怖、そして蘇ってくる重い罪の心。悩み苦しむ宗助は、心の動揺や
不安から逃れたい一心で、妻の御米に内緒で禅寺の「門」をくぐる。
しかしそこには解答も救済もなかった…。

過去の罪から逃れる術はあるのか? 救いはあるのか?
希望も絶望もない、どうにもならない…。
それでも生きていかねばならない、生きていくことの痛みとは…?
静かに心に染みる味わい深い夏目漱石の名作です。
-
この『門』の連載終了後、漱石は胃潰瘍のため入院することになる。
血を吐いて倒れ、生死の境をさまよう。いわゆる“修善寺の大患”である。

夏目漱石(なつめ・そうせき)

日本の小説家、評論家、英文学者。森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。1867年(慶応3)江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれる。本名は夏目金之助。東京帝国大学英文科卒業後、東京高等師範学校、松山中学、熊本第五高等学校などの教師生活を経て、1900年、イギリスに留学。帰国後、第一高等学校、東京帝国大学の講師を務める。1905年、処女作『吾輩は猫である』を発表。翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。1907年、教職を辞し、朝日新聞社に入社。以後、朝日新聞に『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』などを連載するが、1916年(大正5)12月9日、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳。

内容紹介

日露戦争の最中に温泉地を訪れた青年画家を通して、
芸術のあり方を模索した初期の代表作

『草枕』は明治39年(1906年)に発表された熊本県玉名市小天(ルビ:おあま)温泉を舞台にした中編小説であり、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』と並ぶ初期の代表作。

「智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。」という書き出しで有名だが、劇的な物語の展開があるわけではない。

美とは何か、憐れとは何か——
主人公である青年画家が東京からの旅の途中、滞在した温泉宿で出会った謎めいた女性・那美に出会い、謎めいた彼女の魅力や、戦争によって揺れていく人の暮しを描写していく。

世塵から離れた風光明媚な温泉地を舞台に、西欧文明への批判を込めて、漱石自身の芸術論を主人公の長い独白として織り交ぜていると言われる。豊かな語彙と文章で、絵画的に詩情あふれる世界を落ち着いた朗読で収録している。

夏目漱石(なつめ・そうせき)

日本の小説家、評論家、英文学者。森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。1867年(慶応3)江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれる。本名は夏目金之助。東京帝国大学英文科卒業後、東京高等師範学校、松山中学、熊本第五高等学校などの教師生活を経て、1900年、イギリスに留学。帰国後、第一高等学校、東京帝国大学の講師を務める。1905年、処女作『吾輩は猫である』を発表。翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。1907年、教職を辞し、朝日新聞社に入社。以後、朝日新聞に『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』などを連載するが、1916年(大正5)12月9日、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳。

内容紹介

夏目漱石の異色の短編小説『夢十夜』の音声版
第一夜から第十夜まで、10コの夢のお話

夢か現か幻か…
ふしぎな空間を彷徨い歩く、漱石エッセンスたっぷりの夢の世界
漱石が約100年前に見た夢の世界へ、どうぞいってらっしゃいませ


★第一夜
こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、
仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと言う…。

★第二夜
こんな夢を見た。和尚の室を退がって、廊下づたいに自分の部屋へ帰ると
行灯がぼんやり点っている。片膝を座蒲団の上に突いて、灯心を掻き立てたとき、
花のような丁子がぱたりと朱塗の台に落ちた。同時に部屋がぱっと明かるくなった…。

★第三夜
こんな夢を見た。六つになる子供をおぶってる。たしかに自分の子である。
ただ不思議な事に、いつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。
眼はいつ潰れたのかと聞くと、「なに昔からさ」と答えた…。

★第四夜
広い土間の真中に涼み台のようなものを据えて、
その周囲に小さい床几が並べてある。台は黒光りに光っている。
片隅には四角な膳を前に置いてジイさんが一人で酒を飲んでいる…。

★第五夜
こんな夢を見た。何でもよほど古い事で、神代に近い昔と思われるが、
自分がいくさをして運悪くまけたために、いけどりになって、
敵の大将の前に引き据えられた…。

★第六夜
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、
散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、
しきりに下馬評をやっていた…。

★第七夜
何でも大きな船に乗っている。この船が毎日毎夜すこしの絶間なく
黒い煙を吐いて波を切って進んで行く。凄じい音である。
けれどもどこへ行くんだか分らない…。

★第八夜
床屋の敷居を跨いだら、白い着物を着てかたまっていた
3、4人が、一度に「いらっしゃい」と言った…。

★第九夜
世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争が起りそうに見える…。

★第十夜
庄太郎が女にさらわれてから7日目の晩にフラリと帰って来て、
急にどっと熱が出て、床に就いていると言って、健さんが知らせに来た…。

夏目漱石(なつめ・そうせき)

日本の小説家、評論家、英文学者。森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。1867年(慶応3)江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれる。本名は夏目金之助。東京帝国大学英文科卒業後、東京高等師範学校、松山中学、熊本第五高等学校などの教師生活を経て、1900年、イギリスに留学。帰国後、第一高等学校、東京帝国大学の講師を務める。1905年、処女作『吾輩は猫である』を発表。翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。1907年、教職を辞し、朝日新聞社に入社。以後、朝日新聞に『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』『道草』などを連載するが、1916年(大正5)12月9日、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳。

内容紹介


生死をさまよった「修善寺の大患」後、初めて執筆された作品であり

「行人」「こゝろ」へと連なる後期三部作の一作目


田川敬太郎は大学を出てから職に就けずに悩んでいた。


そんな折に同じ下宿先の役所勤めらしい森本という男と湯屋で出会って親しくなるが、ある時、森本は敬太郎に手紙を残して突然姿を消してしまう。手紙によると、下宿代を滞らせていたことで主人夫婦との面倒を避けたのだという。だが、貯めた下宿代は返すつもりであることや、敬太郎を気遣った内容もあり、梅の鉢の盆栽と自分の愛用していたステッキを敬太郎に譲る旨も書いてあった。


その後、敬太郎は変わらず職を得られずにいたため、大学の友人である須永の叔父の田口に仕事の世話を頼もうとする。たまたま森本への返事の手紙をポストに投函したその夜、敬太郎は田口に会う機会に恵まれた。その日は挨拶のみで終わったが、日を改めて敬太郎は幾度か田口を訪ねようと試みた。しかしながら、すれ違うばかりで直接会って話すことが叶わず、次第に田口を頼ることを諦めかけていた折に、田口から屋敷に呼びだされ、敬太郎はようやく念願の仕事の世話の話を切り出すのだが……

目次

彼岸過迄に就て

風呂の後 一~十二

停留所 一~三十六

報告 一~十四

雨の降る日 一~八

須永の話 一~三十五

松本の話 一~十二

結末

野中宗助とその妻・御米は、崖の下の家にひっそりと暮らす睦まじい夫婦。 宗助は京都の大学を出て、今は東京で役所勤めをしているが、弟の小六に馬鹿にされるほど出世欲もなく、弟の学資となるはずだった亡父の遺産を親戚に食い尽くされても強く抗議することもなく、波風の立たない日常をそっと守るように暮らしているのも、過去に犯した事件の影にいまだ怯えているためでもあった。 懇意にしていた大家の坂井宅で、その影が現れるかもしれない事態が出来(しゅったい)したとき、宗助は救いを求めて鎌倉へ向かうが、そこに救いはなかった。—— 「三四郎」「それから」に続く漱石前期三部作の最後を飾る長編。執筆中に胃潰瘍が悪化し、連載終了後に入院することとなった。 【朗読者について】 漱石前期三部作に挑戦中の渡部龍朗。ドラマチックな展開をみせた「それから」からさらに深化し、事件らしい事件のない難しい長編作品を、淡々とじっくりと聞かせます。 【アイ文庫について】 プロによる高品質な文芸朗読作品を制作しているアイ文庫。プロデューサーを務める小説家・音楽家の水城雄のもと、朗読を音声による芸術表現として捉え、演劇的な要素が特徴の朗読で魅せるアーティスト集団・NPO法人現代朗読協会とともに、意欲作の創造に取り組んでいます。
内容紹介

「近代における自我の問題として人間交渉の姿に敏感・執拗・潔癖で あったこの作家の苦悩に真正面からとり組んだ作品であるばかりでなく、両性の 相剋の苦しみの面をも絶頂的に扱われた小説」宮本百合子『漱石の「行人」について』より

二郎は大阪に着くとすぐに、母方の遠縁にあたる岡田の家を訪れた。それは一週間前に友人の三沢と大阪で落ち合う約束をしており、たがいに指定すべき場所をもたなかったので、三沢には岡田の氏名と住所を伝えたのである。
だが、予定通りの時日を費やして二郎が岡田の家を訪れた時、三沢が訪れた形跡はなかった。二郎が岡田の家に泊まった翌日、三沢からの葉書が届いた。一両日遅れるというのである。二郎が岡田の家に逗留していると再度手紙があり、三沢は胃腸を悪くして入院していたのだという。 二郎は三沢を見舞うために病院に通うようになる。病院で孤独な日々を送る三沢は二郎の来訪を喜んだ。そのうちに三沢とある女の話題で盛り上がるようになる。それは、おそらくは同じ病院に入院しているらしい女性であった。二郎もその女のことが気になり、心惹かれるようになるのだが……

目次

友達
一~三十三

一~四十四
帰ってから
一~三十八
塵労
一~五十二
内容紹介

「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」。 美禰子

『三四郎』は明治42年(1909年)に発表された夏目漱石の長編小説であり、続いて書かれた『それから』、『門』とあわせて前期三部作と呼ばれる作品である。

大学進学のために熊本から上京した三四郎は、見る物聞く物すべてが目新しい世界に戸惑いながら、故郷、学問、恋愛、というそれぞれの「世界」に、身を置いていることに気が付く。 自由気侭な都会の女性 里見美禰子に出会い、彼女に強く惹かれて恋慕する三四郎だが、曖昧な態度をとる彼女に翻弄され続けるが……。

誰もが経験する不安や戸惑いを、三四郎が自分の進むべき道を模索し始める過程の中に描く。 恋愛を中心に、人間の孤独や本質を追求した青春文学の傑作を、落ち着いた朗読で収録。

夏目漱石(なつめ・そうせき)

日本の小説家、評論家、英文学者。森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。1867年(慶応3)江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれる。本名は夏目金之助。東京帝国大学英文科卒業後、東京高等師範学校、松山中学、熊本第五高等学校などの教師生活を経て、1900年、イギリスに留学。帰国後、第一高等学校、東京帝国大学の講師を務める。1905年、処女作『吾輩は猫である』を発表。翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。1907年、教職を辞し、朝日新聞社に入社。以後、朝日新聞に『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』などを連載するが、1916年(大正5)12月9日、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳。

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