19世紀半ばのインド——英国は東インド会社と総督府を通じて植民地支配を強化し、インドの直接統治を進めていた。
マラーター王国の高官の娘として生まれたラクシュミーは、インド北部ジャンシー王国のマハラジャと結婚し、王宮内に女性騎馬隊を組織して、政治手腕を発揮していた。夫の死後は幼い養子の摂政として国民の信望を集めていたが、マハラジャ不在のジャンシー王国を接収しようとする英国の圧力に次第に追いつめられていく。
そして1857年、インド北部で起きた「インド大反乱(セポイの乱)」の波に、王妃ラクシュミーも巻き込まれていく……。
■王妃ラクシュミー(1834?-58)
養子の幼子を背負って戦う姿として伝説化され、絵画や銅像、民謡が多く残されている。
現在でも、民族独立の「英雄」としてインドの人々に敬われ、物語が語り継がれている。インドでは映画化の動きもある。
「インド大反乱」を鎮圧した英国軍司令官ローズ将軍は、ラクシュミーをジャンヌ・ダルクにたとえ、「有能な戦略家であり、もっとも勇敢に戦った戦士」として褒め称えた。
1943年、チャンドラ・ボースはシンガポールで発足させたインド国民軍の婦人部隊に、「ジャンシーの王妃連隊」と名付けた。
インドの初代首相ネルーも著書で、ラクシュミーを讃えている。
Joyce Chapman Lebra
コロラド大学歴史学名誉教授。ハーバード大学で、エドウィン・
主要著書:『チャンドラ・ボースと日本』(原書房、1968年)
大阪大学工学部、テキサス大学大学院化学工学科修了(