どうやって歳入の40倍以上の借金を解消させたのか!?
西郷隆盛や島津斉彬らが世に出る下地をつくった「名も無き家老たちのプロジェクトX」
薩摩藩もかつては破産寸前だった!?なぜ薩摩藩は、幕末の大転換期をリードすることができたのかというと、大きな藩で経済的に余裕があっただと思う人も多いかもしれません。
しかし、それは正しくありません。
「島津の退き口」とも呼ばれた壮絶な退却劇を演じ、徳川家康にも一目置かせた島津家の薩摩藩ですが、江戸時代中期には、薩摩藩も他の多くの藩同様に経済的には困窮してしまっていたのです。
そもそも薩摩藩の石高は数字上72万石ですが、痩せた国土のため、実質的には32万石程度に過ぎず、借金は歳入の40倍以上に膨れ上がっていました。
もはや金を貸してくれる商人はおらず、家臣たちへの給料は1年以上も滞り、薩摩屋敷は雑草が生え放題だったのです。
幕府からつぎつぎと命じられる無理難題、多額の借金。
これらの問題に、自らの命と名誉を投げ打って立ち向かった3人の家老たちに焦点を当てます。
目次第1章 藩の命運は「家老」にあり
第2章 体を張って組織に尽くす―「宝暦治水」の指揮官・平田靭負
第3章 私情を捨て、憎まれ役に徹す―倒産した財政の大改革・調所広郷
第4章 組織を動かし時代を動かす―薩長同盟・大政奉還を主導・小松帯刀
2017年12月20日 2版……誤字を修正しました。
東京大学文学部国史学科、同大大学院修士課程修了(文学修士)。