西播磨の山城へGO

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このアプリについて

「西播磨の山城へGO」は、兵庫県内の西播磨・中播磨エリアに残されている山城を紹介するアプリです。
史料や遺構から考証して再現されたかつての山城の姿をお楽しみください。

城跡の数において全国有数を誇る兵庫県。
そんな兵庫県の中でも特に西播磨エリアには全国的には無名ですがとても見ごたえのある山城が豊富に残されています。
そんな知る人ぞ知る西播磨の山城の魅力を知っていただきたいという思いから「西播磨の山城へGO」アプリが誕生しました。
西播磨エリアは(赤穂市、相生市、上郡町、佐用町、たつの市、宍粟市、太子町)の自治体で構成されており、当アプリではそれぞれの自治体にある厳選された山城を順番にご紹介していきます。

●利神城(佐用町)
佐用町のほぼ中央に位置する標高373メートルの利神山に築かれた山城です。古くは赤松氏の居城として、また宇喜多氏の家臣が入城するなどを経て、慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦後に播磨に入封した池田輝政が、甥由之に銘じて大改修をさせました。
現在は崩落が激しいものの、高い石垣が残る山上の大城郭の様相を今に伝えています。

●感状山城(相生市)
相生市北部の標高301メートルの感状山に築かれた山城です。
建武年間に城主であった赤松則祐が、迫りくる新田義貞の軍勢を迎え撃ち、約50日間にわたって足止めをしたことで足利尊氏から感状を与えられたことが城名になったことで知られています。
その後戦国期になって大改修が行われ、現在残る総石垣の城が築かれました。

●篠ノ丸城(宍粟市)
宍粟市山崎町の標高324メートルの山上、通称「一本松」に築かれた山城です。南北朝期に赤松氏によって築かれ、その後宇野氏が入城しました。天正八年(1580)に羽柴秀吉軍の攻撃によって落城、その後宍粟郡の領主となった黒田官兵衛が居城した「山崎の城」であったのではないかとする説があります。城跡の北西部を中心に現在も多くの畝状竪堀群が良好に残っています。

●龍野古城(たつの市)
龍野古城は、標高211メートルの鶏籠山の山頂に赤松村秀によって築城されました。天正5年(1577)の羽柴秀吉による播磨侵攻の際に城は開城となり、その後秀吉の家臣が城代を歴任しました。その期間に城は改修され、現在見られるお城の構造や石垣の多くがこの期間に作り替えられました。

●白旗城(上郡町)
建武三年(1336)九州に逃れた足利尊氏の追討軍を迎え撃つため、赤松円心が築城した山城です。この白旗城合戦で新田軍の足止めをした功績により、円心は室町幕府の播磨守護に任ぜられる。以後、白旗城は赤松氏躍進の居城としてその盛衰を見つめてきました。現在も広大な山中に無数の郭や山城遺構が残されています。

●尼子山城(赤穂市)
天文七年(1538)頃、播磨に攻め入った尼子氏によって築城されたとされています。西、南側は切り立った断崖と岩塊が露出しており、非常に堅固な地形は当時のままだと考えられます。また南方を望む眺望は大変すばらしく、瀬戸内海や家島諸島などを見ることができます。


====以下は新規追加====

■中播磨エリアが追加・拡張されました。
●市川町の山城(市川町)
・鶴居城
標高440メートルの山頂からの眺望は素晴らしく、天気のいい日には明石海峡大橋や瀬戸内海を望むことができます。
・谷城
市川町最大規模の山城として知られ、現在も曲輪や土塁、井戸、堀切などの山城遺構が大変見学しやすい状態で残されています。
・川辺城
山頂に東西約60メートルの細長い曲輪と、周囲に帯状の段が残ります。登山道には金毘羅宮やお休み堂があり、歴史を伝えています。
・瀬加山城
東側斜面に10条ほどの畝状竪堀が見られるのが特徴です。春には、桜やツツジなどが咲き誇る名所としても知られています。



かつての姿へ思いを馳せながら、西播磨・中播磨の山城をお楽しみください。
最終更新日
2022/04/03

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