松平清康は岡崎家を追って本拠を同地に移し、三河統一を進めたが天文5年(1536)12月に織田信秀の尾張国守山城城を攻撃中、家臣阿部弥七郎に殺害された。子の広忠は今川義元の後援を得て一族の内訌を収拾したが、その後も一族の分裂と信秀の来攻に悩まされた。1549年3月に広忠が家臣に殺され、今川領国に編入された。1560年の桶狭間の戦後に今川氏から独立した家康は1565年まで三河をほぼ統一して戦国大名の地位を確定し、1566年に松平姓を徳川氏に改め織田信長と同盟して領国を拡大していった。
著者紹介
1943年東大阪市生まれ。著書紹介・歴史研究会に参加、