グルジェフ総論:三つのセンター、三つの体

· 郷 尚文
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この電子書籍について

エニアグラムがあらわす「三の法則」と「七の法則」に従った常に自己を越えゆくことを求める発展のロジック。それは個人の人生のさまざまな局面にどのようにあらわれ、人類の精神史や文明の行方にどのように影響するのか。

本書は、頭・心・体の働きを代表する三つのセンターと人が育てうる三つの体との関係で、理論と応用の両面からこれに関することをを扱った単行本換算で500ページ相当の大著である。

複数の体という観点は、人がふつう思うほど特異なものではない。だれのなかにも、体のために生きることを嫌い、それに反発する極がある。高次の影響力の介在のもとでの第一の体との間での健全な対峙を条件にその反発する極の周辺に生じる主体の意識から第三の体が育ちうる。この二者の間を取り持つ第二の体は、空気的な素材でできた夢の体であり、それが人を束縛の方向にも解放の方向にも導きうることが人間のありかたを魔術的なものとする。人間が生きるうえで、第一の体を生かしておくというそれだけのためにも、どれほどの夢、どれほどの妄想を必要とするかということに思いを向けると、この第二の体を考慮することの必要性がわかる。

グルジェフの使った言葉によると、第二の体はアストラル体もしくはケスジャン体、第三の体は人が生きるなかで育てうる最高次の体もしくは魂にとっての体である。体とは橋である。第一の体にとって完成とは、完璧な体を得ることではなく、それ自身が消え失せてもよくなることである。これと同様に、三つの体の完成は、第四のものへと人を導く。おそらくそのような見方から、1924年以前の講話では、グルジェフは第四のものを含めた四つの体について語っていた。

時について思い、死について思うことから、同じように死ぬのではないこれら複数の体についての自覚が育まれる。本書では何人もの人たちの生と死を取り上げている。

三つのセンター、三つの体というテーマは、いくつものトピックを包含する。三元的なる人間の成り立ちとそれをもって人がまっとうしうる生の意味。三つの体のそれぞれにとって異なる不死の解釈。第一の体と第二/第三の体、第二の体と第三の体の間での相克。機械的中和と意識的和解。回帰への思いを伴った良心の呵責。人間における肯定性と否定性の起源。苦しみとその意味性と無意味性。第二の体を得たのに第三の体を得ずして生きること、死ぬことが意味するもの。

グルジェフ自身、フリッツ・ピータース、P・D・ウスペンスキー、J・G・ベネットほかグルジェフとゆかりのあった人たち、それに加えて広く知られた何人かの人たちの生涯と、生に対する彼らの姿勢を、三つのセンター、三つの体への留意をもって振り返り、上に挙げたトピックとの関係で、人生における一見して不合理なるもののなかに法則的なるもののあらわれを見出そうとする。

三つのセンターそれぞれの立場を代表する思想家としてデカルト(頭)、ホッブス(体)、カント(心)を取り上げ、各自の思想においてグルジェフと共通する点と決定的に異なる点、および三者間での驚くべき視点の違いに注目することで、三つのセンターのそれぞれの立場、利害、世界観、自意識の特徴を明らかにする。さらに、ベートーヴェン、ヴィヴェーカーナンダ、J・クリシュナムルティといった人たちへの言及も含み、幅広い事例との関係で、三つのセンターを意識したまなざしが人とその生の本質について明らかすることに思いを向けるように読者をいざなう。

体ということを話題にしておいて自身のことにまったく触れないのも恥ずかしいことである。グルジェフに発するもの、ムーヴメンツ、およジャンヌ・ド・ザルツマン、P・D・ウスペンスキー、J・G・ベネットが後世に残したものとの身をもっての接触を通じて得られた観察や理解に関する記述を含めている。

三つのセンター、三つの体ということは、グルジェフの人間観の基本であるのに、P・D・ウスペンスキーはこれをまるごと拒絶した。『奇跡を求めて』でも、三つのセンターということさえ認めない立場を貫いている。本書の内容は、P・D・ウスペンスキーを経由した伝達で決定的に抜け落ちた部分を補っている。

P・D・ウスペンスキーは、グルジェフとの出会いに先立ち、『ターシャム・オルガヌム』を執筆したころから、時間と不死に関する固定した考えを抱き、それを固守した。本書では、それがいかに彼によるグルジェフの理解を妨げ、彼の説く「第四の道」の教えに偏向をもたらしたが、それでいながら「第四の道」の教師としての偽りの姿を捨て去ったところで、いかに彼がグルジェフの真の理解者とも見なされうるかについて論じている。

三つのセンター、三つの体ということに、三つのセンター、三つの体をもって思いを向ける。これをひとつの瞑想とすることができる。三者であるところの一者をめぐる瞑想、人間をめぐる瞑想である。物語として読むならば、ハードボイルドロマンである。

図版多数を含む。


目次

プロローグ

第一章 グルジェフの探求と人間をめぐる謎の究明 意識の二重性と人間について知ることへの制限

第二章 生はいただきもの? だだより高いものはない? グルジェフとフリッツ・ピータース

第三章 三の法則、三つのセンター、三つの体、エニアグラムをめぐる七つの論述

(一)「三の法則」をめぐる知識の抑圧の背景

(二)探求の邪道と正道

(三)人間に可能な成長の道筋のエニアグラム

(四)オクターブの法則、二つのインターバル、グループの意義

(五)正常な生き物は永遠に生きることを望む

(六)三つもしくは四つの体

(七)パウロの回心と三つの体に関するグルジェフの解釈

第四章 P・D・ウスペンスキーの不可思議なる人生 『イワン・オソキン』の二つの結末

第五章 それからのウスペンスキー 生の意味の探求と第四次元の迷路 三つのセンターと自己観察

第六章 ルネ・デカルトの生涯と彼の瞑想 「アイ・アム」 理性と不死性 「空気的なるもの」への感受性 肯定の力の源泉

第七章 男がいなくなった世界 男と女の問題をめぐるグルジェフの見解 男が男でなくなる理由 女が男になることの道理

第八章 人間とその「自然状態」に関するホッブスの論述 グルジェフの見解 経験に基づく結論の真実と嘘 自分ということの隠蔽

第九章 体が悪いということ 体が従うところの法則 「クンダバッファー」の働き 第一の体の主張とその彼方

第十章 「ソ」での分岐 第一の体が負の極性を帯びるべき理由 空気に関する秘密 呼吸を冒す病の流行に関するベルゼバブの意見

第十一章 「三つの脳」の宇宙的背景 神聖なるアイエイオイウオア センター間の議論 囚われた頭の見る自由の夢 プラーナヤマ

第十二章 狼・山羊・キャベツ カントとベートーヴェン 二種類のつながりの間での対抗関係 主観道徳・客観道徳とスケールという観点 空気人間の悲劇

第十三章 師の死とその後に残るもの ムアが語るグルジェフ死後の「ワーク」の世界における三十年戦争と文化大革命 貴婦人と一角獣 「私のただひとつの望みへ」

第十四章 『ターシャム・オルガヌム』とムーヴメンツ 解放を求める精神の自滅への道 時間意識と空間意識 人間の持ちうる「第三の世界」

第十五章 J・G・ベネットの臨死体験と第五次元の探求 ムーヴメンツを通じて垣間見た世界 ぼくってタクシー?

第十六章 ムーヴメンツにおけるベネットの体験とグルジェフの説明 人に課せられたエネルギー的な制限とその彼方 聖惑星パーガトリ

第十七章 第一の体、第二の体の死を越えうるもの 第二の体に生じる夢とその彼方 夢と引き換えに存在を得る

第十八章 ムーヴメンツとエナジー・ブレンディング・エクササイズ 人が持ちうるささやかな目標

エピローグ

著者について

東京外国語大学卒業。翻訳家。1988年に『ベルゼバブが孫に語った物語』の翻訳を開始し、以後、グルジェフに発する伝達の流れにくみする複数のグループおよび個人と接触をもつ。1989年にOsho Commune International(インド・プネー)を訪れ、以後、グルジェフに由来する舞踏・体操・エクササイズを集めたものである「グルジェフ・ムーヴメンツ」をめぐる同コミューンでのプログラムに関与。1997年よりムーヴメンツを中心とするプログラムを、日本、インド、ロシア、フランス、トルコで主導。訳書にグルジェフ全集ほか、著著に『覚醒の舞踏 グルジェフ・ムーヴメンツ』およびグルジェフ総論シリーズ。

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