妙法蓮華経序品第一
是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆万二千人と倶なりき。皆是れ阿羅漢なり。諸漏已に尽くして復煩悩なく、己利を逮得し諸の有結を尽くして、心自在を得たり。其の名を阿若・陳如・摩訶迦葉・優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・舎利弗・大目・連・摩訶迦旃延・阿・楼駄・劫賓那・・梵波提・離婆多・畢陵伽婆蹉・薄拘羅・摩訶拘・羅・難陀・孫陀羅難陀・富楼那弥多羅尼子・須菩提・阿難・羅・羅という。是の如き衆に知識せられたる大阿羅漢等なり。
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は28品の章節で構成されている。[現在、日本で広く用いられている智顗(天台大師)の教説によると、前半14品を迹門(しゃくもん)、後半14品を本門(ほんもん)と分科する。迹門とは、出世した仏が衆生を化導するために本地より迹(あと)を垂れたとする部分であり、本門とは釈尊が菩提樹下ではなく久遠の昔にすでに仏と成っていたという本地を明かした部分である。迹門を水中に映る月とし、本門を天に浮かぶ月に譬えている。後世の天台宗や法華宗一致派は両門を対等に重んじ、法華宗勝劣派は法華経の本門を特別に重んじ、本門を勝、迹門を劣とするなど相違はあるが、この教説を依用する宗派は多い。