実堯が討たれるが、実堯の子里見義堯(1507~1574)が義豊を滅ぼして当主となった。義堯は小弓御所足利義明と結んで小田原北条氏と戦うが義明敗死後は上総への領国拡大を進め、久留里・大多喜・佐貫などを拠点に押さえて里見氏の全盛期を築いた。その子里見義弘も上杉謙信と結んで小田原北条氏に対抗したが国府台の戦いで敗れ、小田原北条氏の上総侵攻を許した。北条氏滅亡後義弘の子義頼が豊臣秀吉から安房のみ
安堵され、徳川家康によって義頼の子里見義康が若干加増されるが、慶長19年(1614)大久保長安事件の連座によって、忠義が改易され滅亡した。
著者紹介
1943年東大阪市生まれ。著書紹介・歴史研究会に参加、