弥勒経: Namumyouhourengekyou | 南無妙法蓮華経

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⦿彌勒成佛經

一心に善く諦かに聽け。光明の大いなる三昧あり。比無き功徳ある人、正しく爾く當に世に出づべし。彼の人、妙法を説きたまえば皆悉く充ち足ることを得ん。渇きたるもの甘露を飮むが如し。疾く解脱の道に至らん。

⦿賢愚經巻第十二波婆梨品第五十

爾の時に波羅捺の王を波羅摩達と名づく。王に輔相あり。一の男兒生まる。三十二相と衆好と備え滿ち、身の色紫金、姿容挺特たり。輔相、子を見て倍增怡悦ぶ。卽ち相師を召して相を占わしむ。相師、披き看て歎じて言わく「奇なる哉。相好畢く滿ち、功徳殊に備わり、智辮通達し、人の表に出で踰ゆ」と。輔相益喜び因って爲に字を立てんとす。相師復問う「生じてよりこのかた何か異る事ありやと。輔相答えて言わく「甚だ常に異るを怪む。其母素性良善なること能わざりしに、懐妊してよりこのかた苦厄むものを悲矜み、黎元を慈み潤し、心を等しく護り養む」と。相師喜びて言わく「此れ、是の兒の志なり。因りて爲に字を立てよ」と。號づけて彌勒と曰う。父母喜慶ぶこと心に量りあるなし。其の兒殊稱、合土に宣く聞こゆ。國王、之れを聞き、懼を懐く。其の兒に舅あり、波婆梨と名づく。波梨弗多羅國に在りて彼の國師となり、聰明高博にして、智達し才殊れ、五百の弟子、恒に逐い諮い稟う。時に輔相、其の子を憐み愛しみ、其の害せられんことを懼れ、復、密かに計を作し、人を遣りて象に乗せ之れを舅に迭らしむ。舅、彌勒を見、其の色好きを観、意を加えて愛しみ養み、敬って視ること懐に在り。其の年漸く大きくなり、教えて學問せしむるに、一日諮い受えば除の年を終えたるものよりも勝る。學びて未だ歳を經ざるに普く經書に通ず。時に、波婆梨、佛の徳を歎むるを聞き、自ら思惟して言わく「必ず當に佛あるべし。我が書に記す所、沸星下りて現れ、天地大いに動き、當に聖人を生ずべしと。今悉く此のことあり。當に是れに似し」と。卽ち彌勒等十六人に勅し、往きて瞿曇を見せしむ。時に彌勒等深く敬仰を生じ、往きて佛の所に至り、頭面にて禮し訖り、却きて一面に坐す。佛、爲に法を説きたもうに、其の十六人、法眼淨かなるを得、各各、座より起ち、出家せんと求索む。佛「善く來たる」と言いたまえば、鬚と髪と自ら墮ち、法衣、身にあり、尋いで沙門と成る。重ねて方便を以て其の爲に法を説きたもう。其の十五人は阿羅漢と成れり。

時に佛の姨母摩訶波闍波提、佛、已に出家したまいしとき、手自ら紡ぎ織り、預め一端の金色の氎を作り、心に積み、想いを係け、唯、佛を俟てり。既にして佛を見たてまつることを得、喜び心髓より發し、卽ち此の衣を持し、如來に奉上る。佛、憍曇彌に告げたまわく「汝、此の氎を持し、往きて衆僧に奉れ」と。時に、波闍波提、心に乃ち開解り、卽ち其の衣を以て衆僧に奉り施し、僧の中に次いで行くに、取らんと欲する者なし。彌勒の前に到り。尋ねて爲に之れを受けしむ。後に世尊、比丘僧と與に波羅捺に遊び轉り行き化し導きたもう。爾の時に彌勒、金色の衣を著け、身既に端正しく、色は紫金の容、表と裏と相稱い、威儀詳序に波羅捺城に入り、乞食に行かんと欲す。大き陌の上に到り、鉢を擎りて住立むに、人民の類、其の色相を覩て、圍み遶り觀看て厭き足ることなかりき。

⦿聖彌勒發趣經

爾の時に遊戯菩薩摩訶薩、世尊に白して言わく「世尊よ彌勒菩薩摩詞薩は何を以ての故に彌勒と名づけらるるや。是の菩薩摩詞薩は何處より是の名を得たるや」と。世尊、遊戯菩薩摩訶薩に告げたまわく『過去無量無邊不可思議阿僧祇劫の遙か遠き往昔、爾の時に佛いませり。寶蓋如來・應供・正徧知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊と名づく。爾の寶蓋如來生まれたもう時、淨居天の諸神、上方の虚空に立ちて七寶の傘蓋を持し、是の寶蓋は三千大千世界を周遍照らせり。爾の時に諸神歎めて言わく「是の人、當に寶蓋如來となるべし」と。是れを以ての故に是れを寶蓋如來と名つく。爾の時に寶蓋如來の教えを受け、商主の子、堅意という者、出家し、堅意比丘は托鉢を行とせり。爾の時に閻浮提に八萬四千の村邑と八萬四千の都城と八萬四千の聚落と八萬四千の郷國と八萬四千の市場とありて、彼の實蓋如來の教えに人れり。爾の時に彼の堅意比丘は托鉢の爲の故に彼の村邑・都城・聚落・郷國・市場に遍く遊歩せり。思念していわく「我れ衆生をして五戒に於いて堅固ならしめ乃至百人に滿たずば食を受けじ」と。是くの如く彼の堅意比丘は是の誓いを立て、托鉢の爲の故に彼の村邑・都城・聚落・郷國・市場に遊歩し、衆生をして五戒に於いて堅固ならしめ、乃至百人に滿たずば食を受けず。彼の堅意比丘はある時には一日にして百人の衆生をして五戒に於いて堅固ならしめたり。ある時には若しくは二日、若しくは三日、若しくは四日、若しくは五日、若しくは六日乃至七日にして百人の衆生をして五戒に於いて堅固ならしめたり。是くの如き時には乃至七日の問、食を断ちて、しかも衆生を慈愍むが故に衆生を厭うことなく、第八日に食を受けたり。善男子よ。是くの如く彼の堅意比丘は八萬四千歳の間、厭うことなく村邑・都城・聚落・郷國・市場に赴き、衆生をして五戒に於いて堅固ならしめ、八萬四千歳の間に百千萬億の男・女・童子・童女をして五戒に於いて堅固ならしめたり。善男子よ。是くの如く、彼の堅意比丘は思念していわく「我れ此の衆生等をして五戒に於いて堅固ならしめたり。我れ當に此の衆生等を導きて阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしむべし」と。彼の比丘は衆生等の所に到り、四萬二千歳の間、佛を讚歎し法を讃歎し僧を讚歎し大乗を讚歎せり。次の八萬四千歳に於いては五戒堅固なる衆生の中、過去の諸佛の所に於いて善根を種え、意趣殊勝なる三十億の衆生、は阿耨多羅三藐三菩提に發趣し、意趣凡劣なる衆生は緣覺乗と聲聞乗とに於いて發心せり。善男子よ。是くの如く彼の堅意比丘は思念していわく「我れ此の衆生等をして三乗に於いて信解せしめたり。我れ當に此の衆生等をして不放逸ならしめんが爲の故に、三昧に入ることを教うべし」と。善男子よ。是くの如く、彼の堅意比丘はまた二萬一千歳の間、百千萬億の衆生に三昧の所緣を説けり。善男子よ。彼の堅意比丘は百千萬億の一切衆生をして慈心三昧を成就せしめんが爲の故に教誡せり。善男子よ。是くの如く彼の堅意比丘は慈心三昧に入り、托鉢の爲の故に村邑・都城・聚落・郷國・市場に赴くに、慈心に安住する彼の一切衆生は、彼の堅意比丘、門に入るや忽ち慈心三昧に入る。爾の時に、堅意比丘の慈心三昧の神變の是くの如くなるを見て地居の諸神は稱歎して言わく「是の菩薩摩訶薩は卽ち慈心なり。是くの如く、村邑・都城・聚落・郷國・市場に赴くや衆生忽ち慈心三昧に入るが故に」と地居の諸神の聲を聞きて虚空の諸神も亦、稱歎す。また四天王身と三十三天と兜率天と化樂天と他化自在天との諸神、乃至、淨居天にいたるまで、次の如く聲を開き、稱歎して言わく「是の菩薩摩訶薩は卽ち慈心なり。是くの如く村邑・都城・聚落・郷國・市場に赴くや衆生忽ち慈心三昧に入るが故に」と。彼の寶蓋如來、爾の名に隨喜し、授記したまわく「是くの如く是の堅意菩薩は當に生死流轉の間、恒に彌勒菩薩摩訶薩と名づけらるべし。また阿耨多羅三藐三菩提を成ずる時にも亦、彼れの名は是くの如く、世間の無量の聲聞僧伽と、寶荘嚴佛國土の一切の安樂を具足せる衆生とを攝取して如來・應供・正徧知・彌勒如來と號づけらるべし」と。彌勒とは慈心の謂いなり。善男子よ。爾の時の堅意比丘は豈異人ならんや。爾の時より以來、生生流轉して恒に彌勒とのみ名つく。菩提を得たる時にも亦、當に是くの如く彌勒如來・應供・正徧知と號づけらるべし。善男子よ。是の因、是の緣を以て彌勒菩薩摩訶薩を名づけて彌勒となす』と。爾の時、世尊、彌勒菩薩摩訶薩の本事を説きたもうや、忽ち是の三千大千世界は六種に震動し、また上方の虚空に於いて天の伎樂を作し、天華を雨らせたりき。

⦿觀彌勒菩薩上生兜率天經

佛、優波離に告げたまわく「諦かに聽け、諦かに聽け。善く之れを思念せよ。如來・應供・正徧知、今、此の衆に於いて、彌勒菩薩摩訶薩の阿耨多羅三藐三菩提の記を説かん。此の人、今より十二年の後、命終りて必ず兜率天の上に往生することを得ん。爾の時に兜率天の上に五百萬億の天子あり。一一の天子、皆、甚深なる檀波羅蜜を修む。一生補處の菩薩を供養せんが爲の故に、天の福力を以て宮殿を造作し、各各、身より栴檀と摩尼の寶冠とを脱ぎ、長跪合掌して是の願を發して言わく「我れ今、此の無價の寶珠を持ち及び天冠を以てするは大心の衆生を供養せんが爲の故なり。此の人は來世に久しからずして當に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし。我れ彼の佛に於いて國界を莊嚴せん。受記を得たる者に我が寶冠を化成して供具たらしめん」と。是くの如く諸の天子等各各長跪して弘誓願を發すこと亦復是くの如し。時に諸の天子、是の願を作し已るや、是の諸の寶冠は化して五百萬億の寶の宮となる。一一の寶の宮に七重の垣あり。一一の垣は七寶より成る。一一の寶より五百億の光明を出だす。一一の光明の中に五百億の蓮華あり。一一の蓮華は化して五百億の七寶の行樹となる。一一の樹葉に五百億の寶の色あり。一一の寶の色に五百億の閻俘檀金の光あり。一一の閻俘檀金の光の中に五百億の諸の天の寶女を出だす。一一の寶女は樹の下に住立みて、百億の寶の無數の瓔珞を執りて妙なる音樂を出だす時に樂音の中に不退轉地の法輪の行を演説す。其の樹の、生ずる果は頗黎の色の如し。一切の衆の色、頗黎の色の中に入る。此の諸の光明、右に旋り婉轉として衆の音を流出す。衆の音は大慈大悲の法を演説す°一一の垣牆は高さ六十二由旬、厚さ十四由旬なり。五百億の龍王、此の垣を圍み繞る。一一の龍王、五百億の七寶の行樹を雨らし、垣の上を莊嚴す。自然に風ありて此の樹を吹き動かす。樹は相振觸れて、苦・空・無常・無我と諸の波羅蜜とを演説す。

爾の時に、此の宮にひとりの大いなる神あり。名を牢度跋提という。卽ち座より起ち、遍く十方の佛を禮し、弘誓願を發していわく「若し我が福徳、應に彌勒菩薩の爲に善法堂を造るべくんば、我が額の上に自然に珠を出ださしめよ」と。既に願を發し已るや、額の上に自然に五百億の寶珠を出だす。瑠璃と披瓈と一切の衆の色、具足せざるはなし。紫紺の摩尼の如く、表裏、瑛かに徹き、此の摩尼の光、空中に迴り旋り、化して四十九重の微妙なる寶の宮となる。一一の欄楯は萬億の梵摩尼の寶の共に合わせ成る所なり。諸の欄楯の間には自然に九億の天子と五百億の天女とを化生す。一一の天子の手の中に無量億萬の七寶の蓮華を化生し、一一の蓮華の上に無量億の光あり。其の光明の中に諸の樂器を具す。是くの如き天の樂は鼓たずして自ら鳴る。此の聲出づる時、諸の女、自然に衆くの樂器を執り、競い起って歌い舞う。詠ずる所の歌の音は十善と四弘誓願とを演読す。諸の天、聞く者は皆、上道の心を發す。亦、七寶の大いなる師子座あり。高さ四由旬、閻俘檀金と無量の衆の寶とを以て莊嚴となす。座の四角の頭に四の蓮華を生ず。一一の蓮華は百の寶より成る。一一の寶より百億の光明を出だす。其の光、微妙なり。化して五百億の衆の寶と雜の華とにて荘嚴せる寶の帳となる。時に十の方面に百千の梵王あり。各各一つの梵天の妙なる寶を持ち、以て寶の鈴となして寶の帳の上に懸く。時に小梵王は天の衆の寶を持ち、以て羅の網となして彌く帳の上を覆う。時に、宮の四角に四の寶の柱あり。一一の寶の柱に百千の樓閣あり。梵摩尼珠を以て絞絡となす。時に諸の閣の間に百千の天女あり。色妙なること比なく、手に樂器を執る。其の樂の音の中に苦・空・無常・無我と諸の波羅蜜とを演読す。是くの如く天の宮には百億萬無量の寶の色あり。一一の諸の女も亦同じく寶の色なり。爾の時に、十方の無量の諸天、命終らば皆、兜率天の宮に往生せんと願う』と。佛、優波離に告げたまわく「此れを兜率天と名づく十善の應報にして勝妙なる福處なり。若し比丘及び一切の大衆にして生死を厭わずして天に生まるることを樂う者、無上菩提心を愛敬する者、彌勒の爲に弟子と作らんと欲する者あらば、當に是の觀を作すべし。是の觀を作す者は應に五戒と八齋と具足戒とを持ち、身と心と精進し、結を断ずるをば求めず、十善の法を修し、一一兜率陀の天上の上妙の快樂を思惟すべし。是の觀を作さば名づけて正觀と爲し、若し他の觀をなさば名づけて邪觀と爲す」と。佛、優波離に告げたまわく「却後に十二年して二月十五日に波羅捺國の劫波利村の波婆利という大婆羅門の家、本生まれし處にて、結加趺坐し、滅定に入るが如く、身は紫金色、光明豔かに赫き、百千の日の如く、上りて兜率陀天に至らん。其の身の舎利は金を鑄たる像の如く動ぜず、搖がず。身の圓光の中に首楞嚴三昧と般若波羅蜜との字義、炳然ならん。時に諸の天・人、尋いで・卽ち爲に衆くの寶の妙塔を起てて舎利を供養せん。時に、彌勒は兜率陀天の七寶の臺の内の摩尼殿の上の師子の牀座に忽然として化生せん。蓮華の上に結加趺坐し、身は閻浮檀金の如き色にして、長さ十六由旬、三十二相と八十種好と皆悉く具足す。頂の上に肉髻あり。髪は紺瑠璃の色なり。釋迦毘楞伽と摩尼と百千萬億叔迦寶とを以て天冠を嚴る。其の天の寶冠に百萬億の色あり。、一一の色の中に無量百千の化佛あり。諸の化菩薩を以て侍者となす。復、他方の諸の大菩薩あり、十八變をなし、意に隨い自在に天冠の中に住せん。彌勒の眉間に白毫相の光あらん。衆の光を流出して百の寶の色をなす。三十二相の一一の相好の中に五百億の寶の色あり。一一の相好にも亦、五百億の寶の色あり。一一の相好、艶かに八萬四千の光明の雲を出だす。諸の天子の各各、華座に坐せると與に晝と夜と六時に常に不退轉地の法輪の行を説く。一時を經る中に五百億の天子を成就して阿耨多羅三藐三菩提に於いて不退轉ならしむ。是くの如く兜率陀天に處りて晝も夜も恒に此の法を説きて諸の天子を度す。閻浮提の歳の数にして五十六億萬歳、爾乃、閻浮提に下生せん」と。佛、優波離に告げたまわく『是れを、彌勒菩薩、閻浮提に没して兜率陀天に生ずる因縁と名づ佛、滅度して後、我が諸の弟子、若し精勤し、諸の功徳を修めて、威儀缺けず、塔を掃き、地を塗り、衆の名香と妙華とを以て供養し、衆の三昧を行じ、深く正受に入り、經典を讀誦するものあらば、是くの如き等の人は應當に心は結を斷ぜずと雖も六通を得るが如きに、至るべし。應當に念いを繋け、佛の形像を念じ、彌勒の名を稱うべし。是くの如きの輩、若し一念の頃、八戒齋を受け、諸の淨き業を修め、弘誓願を發さば、命終りて後、譬えば壯士の、臂を屈げ申ぶるが如き頃に、卽ち、兜率陀天に往生して、蓮華の上に結跏趺坐することを得ん。百千の天子、天の伎樂を作し、天の曼陀羅華と摩詞曼陀羅華とを持ち、以て其の上に散らし、讃めて言わく「善い哉、善い哉、善男子よ汝、閻浮提に於いて廣く福業を修め、此の處に來生す。此の處を兜率陀天と名づけ、今、此の天の主を名づけて彌勒と曰う。汝當に歸依すべし」と聲に應じて卽ち禮し已りて、眉間の白毫相の光を諦かに觀たてまつらば卽ち、九十億劫の生死の罪を超越することを得ん。是の時、菩薩は其の宿縁に隨つて爲に妙法を説き、其のひとをして無上道に於いて心を堅固・不退轉ならしめん。是くの如き等の衆生、若し諸の業を淨め、六事の法を行わば必定して疑無く兜率天上に生まれ、彌勒に値遇いたてまつることを得べし。亦、彌勒に隨って閻浮提に下り、第一に法を聞くべし。未來の世に於いて、賢劫の一切の諸佛に値遇い、星宿劫に於いても亦、諸佛世尊に値遇いたてまつることを得、諸佛の前に於いて菩提の記を受くべし』と。佛、優波離に告げたまわく「佛、滅度して後、比丘と比丘尼と優婆塞と優婆夷と天と龍と夜叉と乾闥婆と阿脩羅と迦樓羅と緊那羅と摩睺羅伽と等の是の諸の大衆、若し彌勒菩薩摩訶薩の名を聞くことを得、聞き已りて、觀喜し恭敬し禮拜することあらば、此の人、命終りて、指を弾くが如き頃に卽ち往生し得ること、前の如くにして異なること無し。但、是の彌勒の名を聞くことを得るのみにても、命終りて亦、黒闇の處と邊地と邪見と諸の惡律儀とに堕せず、恒に正見の眷屬に生じて、三寶を謗らざることを成就せん」と。佛、優波離に告げたまわく「若し善男子・善女人、諸の禁戒を犯し、衆くの悪業を造るとも、是の菩薩の大悲の名字を聞き、五體投地して誠心こめて懺悔せば、是の諸の悪業、速かに清淨となることを得ん。未來の世の中の諸の衆生等、是の菩薩の大悲の名稱を聞き、形像を造立し、香華と衣服と繒蓋と憧幡とをもって禮拜し、念いを繋けなば、此の人、命終らんとする時、彌勒菩薩、眉開の白毫の大人相の光を放ち、諸の天子と與に、曼陀羅華を雨とふらせ、來りて此の人を迎えたまわん。此人、須臾にして卽ち往生することを得ん。彌勒に値遇いたてまつり、頭面にて禮敬し、未だ頭を擧げざる頃、便ち法を聞くことを得て、卽ち無上道に於いて不退轉となることを得ん。未來の世に於いて恒河の沙に等しき諸佛如來に値いたてまつることを得ん」と。佛、是の語を説きたもう時、他方より來たり會れる十萬の菩薩は首楞嚴三昧を得、八萬億の諸天は菩提心を發し、皆彌勒に隨從して下生せんと願えり。佛、是の語を説きたもう時、四部の弟子も、天と龍などの八部も、佛の説きたもう所を聞き、皆大いに觀喜し、佛を禮して退けり。

⦿彌勒下生經

爾の時に、佛、舎利弗に告げたまわく『我れ今廣く汝の爲に説かん。當に一心に聽くべし。含利弗よ。四の大いなる海の水、以て漸く減少して三千由旬とならん。是の時、閻俘提の地は長さ十千由旬、廣さ八千由旬ならん。平坦にして鏡の如くならん。名華と軟き草、遍く其の地を覆い、種種の樹木の華と果と茂盛り、其の樹悉く皆、高さ三十里ならん。城邑、次き比び、鷄、飛びて相及ばん。人の壽は八萬四千歳。智慧と威徳と色と力と具足して安隱・快樂ならん。是の時に、一つの大いなる城あらん。翅頭末と名づく。長さ十二由旬、廣さ七由旬。端嚴・殊妙・荘嚴・清淨にして、福徳の人、其の中に充滿せん。福徳の人なるを以ての故に、豐樂にして安隱ならん。其の城は七寶にして、上に樓閣あり、戸の牖と軒の窓と皆是れ衆くの寶にして、眞珠の羅の網、彌く其の上を覆わん。街巷の道陌は廣さ十二里、掃い灑ぎて清淨ならん。舎利弗よ。我れ今、汝の爲に麤略略、彼の國界と城邑と富と樂との事を説かん。其の諸の園と林との池と泉との中には自然にして八功徳の水あり。青と紅と赤と白と雑の色の蓮華、遍く其の上を覆う。其の池の四邊には四の寶の階の道あり。衆くの鳥、和ぎ集う。鵝と鴨と鴛鴦と孔雀と翡翠と鸚鵡と舎利と鳩那羅と耆婆耆婆と等の諸の妙なる音の鳥、常に其の中にあり。復、異なる類の妙なる音の鳥もありて、稱げて數うべからず。果の樹と香の樹と國の内に充ち滿つ。爾の時に閻浮提の中に常に好き香あり。譬えば香山の如し。流るる水は美好しく、味甘くして患を除す。雨の澤は時に隨い、穀稼は滋茂り、草穢を生ぜず。一、たび種まきて七たび穫あり。用功甚だ少くして收むる所甚だ多し。之れを食うに香美く、氣力充ち實つ。其の國に爾の時に轉輪王あらん。名を蠰佉と曰う。四種の兵あり。威武を以いずして、四天下を治む。其の王に千の子あり。勇く健く力多く能く怨敵を破る。王に七の寶あり、金輪の寶.と馬の寶.と珠の寶と女の寶と主藏の寶と主兵の寶となり。又、其の國土に七寶の臺あり。擧高千丈、千の頭と千の輪とあり。廣さ六十丈なり。翅頭末の城には衆くの寶の羅の網ありて彌く其の上を覆い、寶の鈴の莊嚴は微風に吹かれて動く。其の聲は和ぎ雅かにして、鐘と罄どを扣つが如し。其の城の中に大いなる婆羅門の主あり。名を妙梵と曰う。婆羅門の女は名を梵摩波提と曰う。彌勒、生を託して以て父母となさん。身は紫金の色にして三十二相あり。衆生之を視て厭き足るということなし。身の力、無量・不可思議にして、光明照り曜き、障げ閡ぐ所なし。日も月も火の珠も都て復現れず。身長千尺、胸の廣さ三十丈、面の長さ十二丈四尺、身體具足して端正なること比なし。相好を成就して金を鑄たる像の如し。肉眼清淨にして十由旬を見る。常に光、四に照り、面百由旬は日も月も火の珠の光も復、現れず。但佛の光の微妙第一なるあるのみならん。彌勒菩薩觀ずるに、世に五欲あり、患を致すこと甚だ多く、衆生は沈没して大いなる生死のなかにあり、甚だ憐愍むべし。自ら是くの如く正しく念じ觀ずるを以ての故に家に在りて樂しまず。時に蠰佉王、諸の大臣と共に、此の寶の臺をもって彌勒に奉上る。彌勒受け已って諸の婆羅門に施さん。婆羅門受け已って卽便ち毀り壊して各各共に之れを分つ。彌勒菩薩、此の妙なる臺の須臾にして無常なるを見、一切の法も皆亦、磨滅すと知り、無常想を修し、出家學道し、龍華菩提樹の下に坐す。樹と枝と葉とあり、高さ五十里なり。卽ち、出家の日を以て阿耨多羅三藐三菩提を得ん。爾の時に、諸の天と龍神の王とは其の身を現さずして華と香とを雨とふらせて佛を供養したてまつる。三千大千世界、皆大いに震動す。佛の身より光を出だして無量の國を照らす。應に度すべき者は皆、佛を見たてまつることを得ん。爾の時に人民各各是の念を作していわく「復、千萬億歳、五欲の樂を受くと雖も、能く三惡道の苦を免るることを得ず。妻も子も財産も救う能わざる所なり。世間は無常にして、命は久しく保ち難し。我等、今、宜しく佛法に於いて梵行を修行すべし」と。是の念を作し已って出家學道せん。時に蠰佉王も亦、八萬四千の大臣と共に、恭敬圍繞せられ、出家學道せん。復、八萬四千の諸の婆羅門にして聰明、大いなる智あるものあり、佛法の中に於いて亦共に出家せん是くの如き等の無量千萬億の衆、世の苦惱を見て、皆彌勒佛の法の中に於いて出家せん。彌勒佛、是くの如く無量の衆生を開え導き、安んじ慰め、其れらをして觀喜せしめ、然る後に法を説かん。福徳の人、其の中に充ち滿ち、大師を恭敬し信受し渇仰し、各各、法を聞かんと欲して皆、是の念を作していわく「五欲は不淨にして衆くの苦の本なり」と。又、能く憂と慼と愁惱とを除き捨てて[苦と樂との法は皆、是れ無常なり」と知らん。彌勒佛、時に會える大衆の心の淨く調ぎ柔なることを觀察し、爲に四諦を説かん。聞く者は同時に涅槃の道を得ん。爾の時に彌勒佛、華林の園にあらん。其の園、縦廣.一百由旬、大衆、中に滿たん。初會の説法に九十六億人、阿羅漢たることを得ん。第.二の大會の説法に九十四億人、阿羅漢たることを得ん。第三の大會の説法に九十二億人、阿羅漢たることを得ん。彌勒佛、世に住まること六萬歳、衆生を憐愍み、法の眼を得せしめん。滅度して後、法、世に住まること亦、六萬歳ならん。汝等宜しく應に精進して清淨なる心を發し、諸の善業を起つべし。世間の燈明たる彌勒佛の身を見たてまつることを得ん。必ず疑無きなり。』

⦿彌勒當來經

舎利弗、世尊に問うていわく「誰か彌勒佛に遇いたてまつらざるや。復、誰か能く遇いたてまつるべきや」と。世尊、告げたまわく「和合僧を破る者は彌勒佛に遇うことなし。一劫の間、地獄に住する提婆達多の如し。復、五無間罪を作りて阿鼻地獄に墮せる者、外道見を懷く者、聖弟子を誹謗する者も亦、彌勒佛に遇うことなし。布施を致し、戒を持ち、齋日を設け、如法に行ない、廟祠を建て、菩提樹を植え、園と林とを作り、橋を架け、道路を開き、戒律堅固にして、井泉を掘る者は能く彌勒佛に遇わん。佛を禮拝し乃至、一華、一燈明、一飮食を.奉上る者は能く彌勒佛に遇わん。好んで善根を植うる者は彌勒佛に遇わん。父母に孝養を盡くし、長上を恭敬する者は彌勒佛に遇わん。彌勒佛の法を聽きて解脱することを得ん。」




仰ぎ願わくは此の功徳を以て普く

一切に及ぼし我等と衆生.と皆共に

佛道を成ぜん。

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1964年5月に小谷喜美は、仏教学者の渡辺照宏に依頼して、これまでの仏教諸経典中の弥勒菩薩に関する経典郡を集大成し、『弥勒経』として編纂出版した。これを期に、日々の読誦の為の経典として、これまでの『青経巻』と『一部経(法華三部経)』に加え、新たに『弥勒経』が加わることになった。
1964年11月には伊豆の遠笠山に青年の修練道場として弥勒菩薩を祀った『弥勒山』を建立した。
小谷喜美が、弥勒経を編纂し、弥勒菩薩を祀る道場を建立するに至った経緯に関しては、喜美自身の言葉によれば「霊界からのご指導による」とだけされており、詳しい背景は不明な部分が多い。しかし、霊友会の修行においては、仏説観普賢菩薩行法経に示された、自らの過去からの利己的な行いや誤った考え方を反省し自身の行いを改めて行くいわゆる「懺悔の行」を実践することが重視されており、その仏説観普賢菩薩行法経の中で「當来の弥勒、願わくは我に法を授けたまえ」とあり、弥勒菩薩が懺悔を行ずる者にとっての指南役として位置づけられていることから、霊友会が重視する「懺悔の行」においては、弥勒菩薩を勧請し、その経典を読誦し、その精神的指針のもとに「懺悔の行」を実践することが不可欠であるという実践的要請が背景にあったものと見られる。
また、これからの世の中は精神的荒廃が進むと予見し、危機感を抱いていた小谷喜美が、五濁の悪世における弥勒菩薩の精神の重要性を確信し、次代を担う青年達が「懺悔の行」を実践しつつ、弥勒菩薩に象徴される慈悲と友愛の心を持って、愛と平和に満ちた世の中を構築していくことを期したという面もあったようである。

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