菊池寛の『大衆明治史(国民版)』は、内容はよく知られている歴史上の出来事を記述していますが、その筆致は明治日本を支えた人物像を活写し、その現場に立ち会っているように感じされられます。ところが、なぜか本書は、第二次大戦後に、占領軍GHQによって発禁図書となってしまいました。占領下、7千冊以上の戦前・戦中の書物が没収されたそうですが、大衆小説家の菊池寛の著作が発禁とは驚く話です。菊池は、「太平洋戦争中、文芸銃後運動を発案し、翼賛運動の一翼を担ったために、戦後は公職追放の憂き目にあい失意のうちに没した。」(ウィキペディア)とありますから、そういう菊池の著作だから、ということでしょうか。今から見れば、こういう著作が発禁処分とは大きな違和感を感じます。
菊池寛は、現在市販されている著作はごくわずかですが、実際には膨大な著作群があります。その中で歴史物語は、人物に着目して描いているために、実にわかりやすく、かつ魅力的です。「日本歴史物語全集」や「大衆維新史読本」などは日本の通史を生き生きと描いている素晴らしいシリーズで、この「大衆明治史」もそれに連なるすぐれた歴史物語となっています。
前半は、明治維新から日清戦争終結に至るまでの出来事―廃藩置県、西南戦争、政党の創立、国軍の建設、憲法発布、条約改正に向けた交渉、日清戦争と三国干渉などが、それらに携わった人物にスポットライトを当てて、描かれています。
後半は、まず、南下するロシアとの間で緊張が高まる中で、厳しい財政事情下で師団増設に努めたこと、1900年に北京で起こった反キリスト教、排外主義の民衆蜂起である北清事変(義和団の乱)で、規律に優れた日本軍がその鎮圧に貢献し、日本の声価を高めたことが描かれます。
そして、明治の歴史のクライマックスである日露戦争へと記述は移っていきます。異例の児玉総参謀長の登用、203高地をめぐる激戦とロシア旅順艦隊の撃破、数十万の兵力がぶつかる未曾有の一大決戦となった奉天会戦での苦難の末の勝利、続いて東郷平八郎指揮下の聯合艦隊によるロシアの精鋭バルチック艦隊を撃滅した日本海海戦での完勝と、日露戦争で日本は陸海ともに勝利を収め、世界に様々な衝撃を与えました。
ルーズベルト米大統領の仲介でポーツマス講和会議が開催されましたが、ロシア側の大きな譲歩は得られませんでした。全権小村寿太郎外相は決裂やむなしとの意向を固めたものの、日本政府は、軍事、財政の両面で限界であり講和成立が絶対の急務であるとの訓令を発し、ここに講和は成りました。
講和条件についての国民の憤激と、大国ロシアに勝利した新興日本に対する西欧列強の警戒感を招くことにもなりましたが、他方で、西欧列強の植民地であった多くの国々を勇気づけ、覚醒させることにもなったことはしばしば指摘されるところです。
本書を読み通してみると、明治日本は、半世紀にも満たぬ間に驚異的な近代化を成し遂げたものの、その過程では多くの苦難があり、それを乗り越えることができたのは、世界の大勢を洞見した優れた指導者たちと国民の挙国一致の団結とによってであったことがひしひしと感じられます。
【収録内容】
廃藩置県/征韓論決裂/マリア・ルーズ号事件/西南戦争/十四年の政変/自由党と改進党/国軍の建設/憲法発布/大隈と条約改正/日清戦争前記/陸奥外交の功罪/三国干渉
川上操六と師団増設/北清事変/対露強硬論と七博士/日露開戦/児玉総参謀長/奉天会戦/日本海海戦/ポーツマス会議/明治の終焉